神は死んだ

神が死んだ。
ロックの神と呼ばれた男が。
忌野清志郎と名乗った神が癌という病で。


ロックを仮名化した、日本ロック界の神であった。
日本人が初めてロックに接し、しばらくの間は、
ロックは当然、英語で歌われるものであった。
少なくとも、英語もどきの日本語で歌われた。


それは、日本人が初めて大陸から流入した
文字と接したとき、しばらくは漢文でしか書くことができなかったように。
その後、紀貫之紫式部清少納言などなどを経て、
鴨長明吉田兼好が日本語で書く手法を生み出し、
二葉亭四迷夏目漱石がいて、
今、私は、日本語を書くことができる。


そして、今、多くの日本のミュージシャンが、
日本語で歌うことができるのは、
忌野の仕事の恩恵なしにはあり得なかったことだろうと思う。
当然、彼一人がその役を一人で担った訳ではないだろうが、
絶大な影響を与えたのは間違いない。


彼の、使う日本語は確かで、かつ、ロックだ。
ほとんどの彼の歌は、歌詞カードなしでキャッチアップ可能だし、
初めて聞いたそのときに、何が言いたいかが、
明確に伝わってくる。
かといって、歌詞の構造が単純であるとか、
テーマがストレートであるとか、そういうことではない。


メタファーや、ダブルミーニングを多用し、
高度なレトリックを使用し高度に組織されている。
それでも、彼の歌にはストーリーがあり、
彼の歌わなければならない、歌わずにはいられない、
そんな想いがにじみ出ている。
間違いなく、現在の日本語話者の中で、
最高峰の歌を詠む、
歌人であったと私は評価する。


そして、私個人としては、
忌野は恩人である。
当然、ライブに何度か行ったことがある程度で
直接話したこともないわけだが、
私のiTunesの忌野のフォルダーには、
27時間の彼の音楽が記録されており、
私は、10、20代の多くの時間を彼の音楽と共に生きてきた。


何よりも、衝撃的であったのは、中古CD屋で、
何となく買い、その帰りに地下鉄の中で聞いた、coversであった。
あれは、私が16か17才のことであったと思う。
coversがリリースされたのが、私が10才の頃なので、
6,7年たってからのことだ。
あのとき、あのアルバムに出会っていなかったとすれば、
その後、私の人生はずいぶん違ったものになっていたように思う。


いや、それを聞いてバンドを始めたとか、
難解な方程式を解いたとかそういう出来事が、
あったわけではないのだが、
私は、このアルバムにであって、
言いたいことは、言っていいんだと、
そのことを教えていただいた。


本当にそのアルバムを地下鉄でポータブルCDプレーヤーにセットして、
聞いたとき、心拍が高まり、目線が定まらない、
とんでもないものを、聞いてしまったという感覚。
決して、TVやラジオから流れることのない、言説。
その歌声に震撼し、目から鱗が落ちた。


そんな、神、忌野が癌という病に冒された。
30代前半で彼は、肝臓を壊し、
医者から一生直らないという宣告を受けたことがあるそうだ。
しかし、その後、東洋医学による治療を受け完治、
医者から奇跡だと言われたという。


アルバム[不死身のタイマーズ/The Timers]の中の、
「イツミさん」でも西洋医学を批判し、
癌治療に疑問を投げかけている。
西洋医学を素直に信用できない状態で、癌に立ち向かい、
再び歌うことを夢見て神は逝ってしまった。
本当は、声なんて彼の才能のほんの一部なのに。
バンマスとして戻ってきてくれれば、
ボーカルなんて、誰でもよかったのに。
いや、誰でもよかった訳ではないけれども、
忌野バンドのボーカルなら。。。。