キャピタリズム

ずいぶんと、久しぶりに劇場で映画を見る。
キャピタリズム
年の初めから、景気の悪い話である。


話は、2008年のリーマンショック以前以後の、
ウォール街の腐敗、
そのことによってウォール街の住人以外の普通のアメリカ人が
いかに深く傷つき、理不尽な経済状況を享受しているかということを、
主張している。


そして、資本主義がいかにばかげてるか、
ということをキリスト教、古き良きアメリカ、合衆国憲法、民主主義等の
対立軸を駆使しあぶり出そうとしている。


どうも、マイケルムーアの言うキャピタリズムとは、
金融資本主義のことで、産業資本主義であったり、商業資本主義、
農本主義などは、含まれていないようだ。
少なくとも、古き良きGM等は肯定的にとらえているので、
資本主義をまっると否定しているわけでもない。たぶん。
あくまで彼の敵はウォール街である。


この映画の中で語られる物語にどれほどの真実が含まれ、
どれほど情報が恣意的に操作されているか、私にはわからない。
しかし、アメリカ人がこの映画を作製し、
彼らのマーケットの中で支持する層があるというこは、
少しは、救いになるだろうか。


サブプライムであったり、金融デリバティブであったり、CDSであったり、
それらの明らかに悪意を持って複雑化された、
一般人には意味不明で、それらを扱う当人でさえ説明不可能な商品を作製して、
売りさばいた金融会社の経営者たちをムーアは痛烈に批判する。
そして、リーマンショックさえ彼らの陰謀であったことをほのめかす。


なのに、結論はなぜか「資本主義から民主主義へ」
という、なにやらかみ合わない方向へ向かうのである。。。。。


この映画を見た後、金融とはいかなるものであるかを考えるために
網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」をひらいてみた。

金融についても同じような問題があります。
モノを貸して利息を取るということがいったいどうしてできたのかということは、
考えてみると大変不思議なことです。
世界的に見た場合、どうなのかは知りませんが、日本の社会の場合、
金融の起源を古くさかのぼってみますと、
出拳に帰着します。


出拳は、稲作と結びついており、最初に穫れた初穂は神に捧げられますが、
それは神聖な蔵に貯蔵される。
日本列島の社会では、それを管理したのは共同体の首長だと思いますが、
この蔵の初穂は、次の年、神聖な種籾として農民に貸し出される。
収穫期がくると、農民は蔵から借りた種籾に、
若干の神へのお礼の利稲(利息の稲)をつけて蔵に戻す。
この循環が出拳の基本的な原理だと思うのです。

網野善彦 「日本の歴史をよみなおす」(p60) ちくま学芸文庫

ということだ。
利息は、土と時間を用いて労働力を注入し、価値を増殖することによって支払うことが可能となる。
現在のウォール街で行われているような金を金で買う、
商品やサービスを介さずに、その商品の市場での売り買いのタイミングによって、
利益を得る手法は、常識的には博奕の範疇に入るのだと思う。


耕すことを知らない、もしくは拒否した、
彼らのルールでは誰かが儲けるということは、誰かが損するということに他ならない。
記号のやりとりの中で、富の総量がが増殖することはあり得えず、
その配分が変化するにすぎない。
そして、いつだって儲けるのはルールを熟知した、場を支配するウォール街の住人であって、
賭場に無自覚のまま出入りする一般市民ではない。
(その一般市民がイノセントで、無罪というわけでも無いだろうが。。。)
このような、あまりにも非対称な状況は賭場においては”いかさま”と呼ぶんじゃないだろうか。


問題は複雑化した金融市場なんかではなく、
シンプルになりすぎた、価値観なんだろうと思う。


銀行口座に記載される数字の多いか少ないかが、
その人の価値を決めることができるという錯誤。
人間の全ての活動、財産をお金という単一のスケールによって、
計ろうとする思考停止。

なんだか話がチープになってきた。


そういえば、”男はつらいよ”の主題歌に
「目方で男が男が売れるなら、こんな苦労もかけまいに、かけまいに」
という歌詞があったな。。。


やっぱ、年の初めは「寅さん」の方がよかったのかな。うん。