無可不無可

日本語で「可もなく不可もなし」といえば、たいていは特に優れているわけではないけれど特別ひどいわけでもない、もっと簡単に言うと「まあまあである」、というような意味で使われる。

=中略=

可もなく不可もなし、とは孔子自身が自らの事を言ったもので、「微子篇」に出てくる。つまり自分は、なすべき事や為してはならないこと、あるいはこれはオッケーでこれは駄目、というふうには決めつけていない、と主張しているわけだ。臨機応変、とも受けとれるし、より禅的に言えば、自分を見くびらないということかもしれない。

玄侑宗久, 禅的生活, ちくま新書, p12 (2003)


団塊ジュニアと呼ばれる私たちの世代(私は現在27歳で、いわゆる団塊ジュニアよりは少し下かもしれないが親は団塊の世代です)の多くは、この「無可不無可」という言葉をうけて、なんだかの感慨を受けるのではないでしょうか?少なくとも私の親の教育方針は、まさにこの「無可不無可」であったように思う。


この「無可不無可」的教育は、その子に大きな期待を追わせることでもなく、何を願うわけでもない。ただ、自分が出来なかった分、家庭の貧しさや、社会情勢に逆らえなかった彼の、子らには自分で道を選んでほしいという願いだ。その自由を子らに押しつけたのだ。しかし、その願いは、ここまでの結果として、まだ何も選べない、また何も選べなかった、ニートや、フリーターの大量生産に大いに寄与した。そう思う。しかしその一方、その自由の刑を乗りこなした、ホリエモンや、六本木ヒルズのIT社長に代表されるような、一部エスタブリッシュも排出した。


特にそれが、いいとか悪いとか言いたいわけではなく、
難しい話はめんどくさくなってきたのだけれど、用は、



立派な大人になりたいな、と。
ホリエモンでもニートでもない。。。。。



なんだか最近、平気で、青臭い言葉をはけるようになってきた。
何でだろう??昔の僕が聞いたとしたら反吐がでるようなきれい事でも、ぜんぜん平気。
むしろ大好き。



加齢?
だとしたら、年をとるのも悪くはないな。