リスク
やっと、ちょっと落ち着いてきました。
後は惰性で走り抜けれそうな感じ。
さて、今日の話は去年の年末くらい考えて、
まとめてなかった話ですが、耐震偽造問題について不思議に思ったことで、
塩漬けになったいたものです。
まだあんまり全然結論はみえないのだけれども、抱えてると、
更新に差し障るので、取りあえず放出しておきます。
耐震偽造事件がなかなか収まらない。
でも、まだ耐震偽造マンションで人が死んだということは聞かない。
設計事務所の社長をのぞいて。
それでもヒューザーやら総合経営研究所が袋だたきに会っている。
それならば、ホンダやトヨタはどうか?
2004年の交通事故死亡者は7000人を超える
http://www.npa.go.jp/toukei/koutuu1/shisha.htm
一日20人は死んだことになる。交通事故で。
去年の4月のJR福知山線の事故は107名のとうとい命を奪ったが、
それは、日本での交通事故での死者5日にすぎない。
ちなみに、阪神大震災での者は6433人だ。
95年から04年の十年で交通事故で9万人近い人がなくなられたが、
この十年で地震でなくなられた方は7000を超えないだろう。
この国では3年連続自殺者が3万人を超えた
http://members.at.infoseek.co.jp/J_Coffee/toukei.html
自殺者数の推移は失業率に相関するようだ。
かといって、リストラという名の首切りを勧めた企業が
袋だたきに会うことない。
バブル以来の絶好調だそうだ。
こないだアメリカ政府の誰かさんが言ってたけど、
牛肉食べて狂牛病にかかる確立より、
交通事故に会う確立の方が高い。そらそうだ。
BSEの牛を食べたことでの感染が疑われている、
新変異型のクロイツフェルト・ヤコブ病で
イギリスで死亡が認められたのは今のところ153人だそうだ。
ちなみにイギリスの人口は6千万弱。
もし、BSEがその原因だとして日本で同じことが
起こったとしても数百人の規模の問題にすぎない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/BSE
ある意味、こんなものは誤差の範囲にすぎない。そんな気もする。
かといって、喜々として吉野家に行く気にもならないわけだが。。。
牛丼食って狂牛病にかかるより、
吉野家から出てきて自動車に轢かれる可能性の方がよっぽど高い。
どのみち、吉野家へは行くなということか?
定量的に観るならば、トヨタやホンダが袋だたきに会わないのが不思議でならない。
大量解雇でよみがえったと好調を告げる日本企業は大量の屍の上に立っている。
似たような苦境を国際関係論では
「デインジャー」と「リスク」という述語で識別する。
「デインジャー」というのは関与するファクターが多すぎて、
手のつけようのない危険のことである。
「リスク」というのは関与するファクターが考量可能であるので、
マネージしたり、コントロールしたり、
ヘッジしたり出来る危険のことである。
だから、外交の要諦はデインジャーをリスクに変換することに存する。
区や市の説明会に自動車で乗り付ける方も少なくないのではないか?
まあこの話は安全の問題だけじゃないんだけど。
いや、それがいけないという訳ではなく、
なぜ、そのような飛躍を許容できるのかが不思議なのだ。
人は適当にリスクを振り分けて、
自動車にはこれこれのリスクを負うことは許容して、
住居にはここまで、食べ物にはここまでという、
なんだか分からない閾値を持っているということか?
それぞれの事象にどんな重みがついて
どのように振り分けられてるのか?
そのリスクの分類がいかに行われているのか?
その辺のことまじめに考えた人っているのかな?