美酒

昨日は飲んでました。発表会の打ち上げ。
発表会はまあ、参加人数がちょっと少なかったけど、
つつがなく終了。

その後、立食で懇親会25人くらいの参加者のまえに、50人前の料理が並ぶ。
ああ、こんな事なら、人数もっと少なくして、うまい物を頼んだ方が、よかった。
人数を大幅に読み違える。


それでも、みんな貧乏な大学院生。結構食う。食う。
なんか、ちょっと体育会的なのりになっている、テーブルも。
僕は最後閉めないといけないので、ちょっとその辺は遠慮して、
トーク。きれいなおねーさんとしゃべる、顔も切れいし、頭もいい。
かといって、そんな力んだ人でもなくて、まさしく”美人”だ。


懇親会後、発表会のスタッフで打ち上げ。
しかし、幹事はすでにつぶれて、携帯やら鞄やら放り出して帰宅。
とりあえず、残りの人たちで学校のそばの居酒屋へ。


だいたい、全員同じ年、ああ、同級生と飲むの久しぶりだ。
といっても、彼らと飲むのは初めて。
やっぱり、なんか全然話しやすい。
学歴とか、年齢とか非常にそろっているので、
会話に注意が必要ないし、テクニカルタームでも何でも使いたい放題。
もう、独り言みたいに、何の制約もなくしゃべる。


あんなに言いたいこといったのは久しぶり。
最後は、結構、きわどい話もするする。ここまで、しゃべってよかったのか?
大学の話とか、なぜか部落問題、留学生がいたのでご当地話。
ちょっと踏み込みすぎた気もするが、まあよい。



そこで、出るのはやっぱり学校の話。
僕は換金出来ない研究は駄目だと主張。



やっぱり、理学の人なんかとは感覚が少し違うな。
いや、換金できるかどうかは本当はどっちでもよい。
というか、それは一つの指標であって、
ほかの方法でもその研究を評価する方法があればよい、
そして、その評価が先生の給料とかポストにちゃんとフィードバックされるような、
システムにしなきゃ駄目だ。


だいたい、大学の先生って、教授などのパーマネントな職に就いてしまえば、
あとは、かなりレイドバックに振る舞っても、大丈夫。
そして、都合のよいときには教育者になり、都合のいいときに研究者ぶる。
結局、教育と研究というダブルスタンダードにたって、都合のよいように使い分ける。
大学という組織自体なんか制度疲労を起こしているような気がする。


昔は、学者然と威張っていればそれで、それなりに権威があったわけだが、
僕と同じ世代ならだいたい40%位が大学に進学して、大学で教育を受けている。
末は博士か大臣か。大臣はそんなに増えないわけだけど、博士なら一束なんぼで、ジャスコにも売っている。年間、何千人単位で増える増える、もう、わかめじゃないんだから。
そのため、みんな大学という場所がどんなところかくらいは知っていて、
その大学がリリースする知識へのリテラシーを持った相も、増殖している。
なんかよく分からんがすごい学のある人たち、無投票で信任な時代ではなくなった。


そんな、大学が大衆化した中で、神秘性や、閉鎖性が放つ権威を保つことは難しくなる。
これまで、アーティストとパトロンのような関係を、国家ぐるみで、システマティックに税金でまかなってきたわけだが、この制度自体がアラートをならしている。
大学が大衆化する中で、パトロンがアーティストの作品の善し悪しを判断する力を持ち始めたわけだ。



ここで、先生諸君がやるべき事は、パトロンを酔わす作品を作るか、
それとも、パトロンなしで自立するかどちらかで、
パトロンを煙に巻くぐらいなら彼らも一流なんだが、
酔わせるような研究をやれる人はそういない。
ならば、アーティストからアーティサンへ向かうしかない、そんな気がする。
売れるような、ポップな研究をやらなければならない。
プロフェッショナルなら金くらいか自分で稼げよ、と。
それがプロだろ、研究者ぶるんなら研究屋として研究で稼げよ。


そんだけ。文章がたがたですまん。取り合えず、このスピードで書く練習。

あんまりひどかったので、ちょっと改訂しました。

明日から、学会でたぶんネットにはつなげませんので、また来週の中頃に帰ってきます。