布教
何だか、若い白人と日本人のスーツきた人たちに呼び止められる。
大学のすぐそばだったのであまり違和感のない組み合わせ。
それで、道でも聞かれるのかと思ったら、布教活動だった。
なんか、モルモンかなと思ったら、キリスト系みたい?よくわからない。
一瞬面白そうなので話を聞く。
何だか、「この地上に生まれたその理由を知りたくないか?」とか
「人生の目的はありますか?」なんて聞かれる。
ぼくは、「ないですねー」なんてお茶を濁す。
彼らから見て、僕はどういうふうに見えているんだろう?
自分の人生についてまともに考えたことのないかわいそうな人?
なんで、あんなに確信的に話せるんだろうか?
5分くらいいいかなんて、踏み込んできたので、
めんどくさくなって、失礼した。
そういえば、ずっとまえ、モルモンの人が家にやってきて、
「人生の目的を知りたくはないか?」なんて事を
延々30分くらい話して、帰ったことあったな、
そのとき、よっぽど救われない人と思ったのか、
彼の書き込みがぎっしり入った、聖書をくれたのを思い出した。
まあ、読みはしなかったんだけれども。
しかし、あのエネルギーって何なんだろう?
いったい彼らは何を見たんだろう?
ぼくは、何かをあんなにも一生懸命信じることができるだろうか?
どうも、年を取るほどに、ふにゃふにゃになっていく。
不確かな物が増えていく。すべてが調子っぱずれていく。
「すべての確信は、不確かな確信の上に成り立っている」
そんなことを言ったのは、ウイトゲンシュタインだったような気がするが、
考えれば考えるほど、すべてが不確かな物や事になっていく。
うーん、神を措定する事で得られる利得はかなり大きな物であるような、
気はするのだけれど、その論理的な飛躍に耐える脚力がないんだよね。
やっぱ、神秘体験でもしないと無理なのかな?
そしてやっぱり今日も、落ちはないのでした。