タージマハル


世界遺産でタージマハールをやっていた。
私あまりこの番組は好きじゃない、きれいすぎる。
こういう荘厳な感じより、世界の車窓からの方がすき。


バックパックを背負って、インドを回ってたときタージマハールにいったことがある。
それを思い出した。
タージマハールやアーグラー城、またラールキラーなどインドのあの手の建築物は、
やたらでかい。日本の建築物の中であのスケール感を味わえるのは、
ぎりぎり、奈良の大仏東大寺くらいかもしれない。東大寺大好き。


タージマハールにはローカルの日帰りのバスツアーでデリーから、
インド人に混ざって行った。
タージにマハールにつくまでにいくつか観光地を回って、
ついて、圧倒された。


建築物にこれほどの衝撃を与えられたことは初めてだった。
何よりでかい。しかもこんなにすごいものが妻の墓だという。
全く経済性なんて無視した建物。
笑いが止まらなくなって、一緒にいた友達に気味悪がれた。
でも、どうしても笑いが止まらなかった、くだらなすぎて。腹がよじれるほど笑った。
もう、本当に、たかが妻の墓ごときにこれほどまで巨大な、
そして、美しいモザイク。これが、個人独占物であるという。


インドの懐は深い。どこまでも深い。
経済的には非常にのびているみたいだけれども、大事なものを捨てないでほしい。
インドという国の持つすばらしさ、論理性、うさんくささ、牛臭さ、宗教臭さ
すべてひっくるめて成長してほしいと思う。

インドはひとつの時空間の中で、いくつもの世紀を生きている。進歩と退行を同時にやってのけているのである。国家として私たちは、真ん中から両側に向かって拡張することで歳を重ねるー類いまれなる履歴の前後に数世紀ずつを加えることによって。さながら成長したシュモクザメの頭、その両目はままるっきり逆方向をみている。インド人のソフトウェア・エンジニアを受け入れるため、ドイツが移民法改正を検討中というニュースは、ここ北米までにも届いているにちがいない。だが、ヒンドゥー今日最大の祭り、クンブ・メラーで、厳粛な面持ちの行政官が妻子とともに乗る車を、裸の苦行者がペニスで牽くことのほうが、はるかに有名だろう。

=中略=

インドの人々は駆り集められて、二台の護送トラック(一台はとてつもなく大きく、もう一台はごく小さい)、それもまるっきり反対の方角目指して走る二台のトラックに乗せられている。小さい方のトラックは、世界の頂点ちかくでキラキラと輝く目的地目指して走り、もう一台は闇に溶け込んで、消え去ろうとしている。どちらのトラックに、どのカーストの、あるいは階層の、どの宗教の人が乗ることになったのかをざっと調べるだけでも、インドの歴史を知る"怠け者のためのお手軽な入門書"となるだろう。インドに住むことは、二台のトラックのあいだで宙吊りになっているようなものだと、感じている人びともいる。片方の手足はこっちのトラックに、もう一方の手足はあっちのトラックにつながれ、真っ二つに裂かれようとしている、と。肉体ではなく、感情や知性の面で。


アルンダティ・ロイ, 誇りと抵抗, 集英社新書(2004), P8-9