ホワイトバンド


何かと批判の多いホワイトバンドでありますが、少し考えてみました。
まず、お金の流れの問題はもう多くの人が語っています。
http://whiteband.sakura.ne.jp/


そして、人間としての品性の問題としては、藤原新也が胸のすくような
エントリーを残している。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20051108


とりあえず、ホワイトバンドをしている方はここで、藤原新也にしかってもらってください。


それと、忘れちゃいけないホワイトバンド主催のHPはここ
http://www.hottokenai.jp/whoweare/index.html


まず、ホワイトバンドの意味からいってみましょう。キャンペーンのHPから引用。

ホワイトバンドに込められた意味は、「世界のまずしさは克服することができる。この世界にはそのための資源や情報がすでにある。必要なのは『貧困を世界の優先課題にする』という意志をもつこと」です。ですから、G-CAPは、2005年に世界中の多くの人たちがホワイトバンドをつけてその意志を世界に示すことで、貧困問題の解消に積極的に取り組むように各国政府や国際機関に訴える大規模なキャンペーンを展開しています。

 G-CAPの目標は、2000年に行われた国連の会議の「ミレニアム宣言」に基礎づけられている、2015年までの貧困の半減などを謳った「ミレニアム開発目標MDGs)」を達成させ、さらに貧困のない世界を作り出すことです。そのための緊急の国際的課題として、次のことを提言してきました。

 最貧国の債務を免除する。
 援助の質を高めて量もふやす。
 貿易を公正にする。

 そのうち、「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンにおいては「援助の量と質」に関する具体的な進展に焦点をあててきました。具体的には、貧困削減のための援助の増額、援助のあり方を見直し、貧困削減を中心とした援助に配分し直すこと、エイズや基礎教育など社会開発分野への支援を拡大し、アフリカ支援を拡充すること、などです。

ああ、なんと美しいお話でしょう、胸を打たれる思いであります。


さて、では貧困とはなんでしょうか?
おおざっぱに言ってしまうと、
貧困はグローバリゼーションと貨幣経済がもつ、構造的な問題であります。


世界がグローバリゼーションを迎える以前、
貧困なんてものは存在しなかった。
そこには、やせた土地の生活と豊かな土地の生活がそれぞれ独立して存在した。
そこでは、その土地がささえることのできる人口以上に人口が増大すれば、
食えなくなり食えるまで、人口は自然に調節された。
したがって、当然その時代にも飢餓はあった。


しかし、それは貧困ではない。なぜならば、貧しいという言葉は豊かに対して、
貧しいのであって、相対的な概念であるからだ。
そして、グローバリゼーションはやせた土地と豊かな土地を結びつけた。


その結果やせた土地から、豊かな土地へと労働力としてやせた土地の人々は、
豊かな土地へ押し寄せた。そして、自分の土地は生産力が低いことをまざまざと知る。
豊かな土地にすむ土地や資本をもつものは、
やせた土地の人々を雇い生産力をさらに上げることもできた。
そして、豊かな土地にすむものはその見返りとして、
雇ったやせた土地の人々に、その生産力よりも、少ない貨幣を手渡した。
こうして、貧困はうまれた。貧しいものと豊かなもの。


とうぜん、戦争などのために難民になった人たちも、貧困にあえいだ。
自分の土地で戦争が行われ、田畑を追われ生産ができなくなった。
国と国、民族と民族が争う、
戦争もある意味グローバリゼーションの一つの形態であるともいえる。


さて、ホワイトバンドであるが上の引用からも、グローバリゼーションと、
貨幣経済に基づいたキャンペーンであることがわかる。
私がいいたいことは構造として、この二つは貧富の差を作り出す。
いうならば、日本刀でお料理しましょうといっているように感じるのです。
それは、指くらいすぱっと切れちゃうよ。
というよりはOSの構造的な欠陥をアプリケーションで何とかしようとしてる。
そう、貧困を作り出す構造の中でホワイトバンドは語られてしまっている。


だいたい、ジョンレノンが死んで25年未だに、
戦争や暴力はまだまだなくならない。
イラクの前線でマシンガンをガンガン打ってる米兵も平和を念じて打ってるわけです。
イマジンくらい歌えます。
それでも、戦争は終わりません。
その手の活動はほとんど実を結ぶことはないように思います。



みんなが願えば平和がやってくるという話はなんだか、ほんとに気持ちが悪いのです。



かといって僕が何かほかに回答を持っているかといういえば、ありません。
代案のない否定はいかんと思うのですが、
それでも、明らかにこのキャンペーンこころ悪いので、こんなん書いてしまった。
ごめんなさい。


ただ、この問題を解決するためには
バングラディッシュグラミン銀行のような


http://www.ochanoma.info/sc_bank.html


ローカルな活動を、丁寧にやっていくしかないのではないでしょうか。


それとどうしてもいいたいことは、貧困はけして不幸ではないということです。
苦しいことだとは思うけれども、彼らは僕なんかよりもよっぽど生きています。
幸福な貧困だってあるし、不幸な豊かさもあるということを忘れてはいけません。


彼らは、かわいそうな人々ではない。無知な人々ではない。
日々を楽しみ、僕たちとは違うことを知っている。
尊敬すべき人々です。
助けようだとか、ほっとけないとか、不遜にすぎます。
あまりにも思い上がった、言葉です。