いじめ


教育が崩壊しているそうで、なにやら世間が騒々しい。
教育再生会議(@野依良治)が政治主導でできたとたん、いじめや履修問題が噴出。
いやはや、空々しいものも感じる今日このごろであります。


いじめは人間社会にデフォルトで存在するもので、
社会を成立させるためには、異物を排除する圧力が必要で、
それがなければ、ある組織をつなぎ止める事はできない訳です。
そして、子どもの世界ではその圧力が一点に集中してしまったり、
かかりすぎた圧力を取り除くすべを知らなかったりするために、
自殺などという方法でしか、その圧力を緩和させることが出来ないということでしょうか。


問題はいじめの存在ではなく、
いじめによって起こった異常な圧力をどう逃がしてやるか、ということであるように思います。
私は幸運にもいじめにあった事はない(気づかなかっただけか?)ために、
方法論として、ああしろとか、こうしろということは出来ないわけでありますが、
ただ思うのは、
子どもをあまりにも狭く、単一的な価値観の世界に置いてしまっているのが、
一番の問題じゃないかと考えるわけです。


私も、前年まで大学院の博士課程を終えるまで、
5年間、半径15cmくらいの世界で、ひたすらディープに掘り続けてきた訳ですが、
これは煮詰まる。非常に。異常に高い圧力がかかる。
これは自分でかけているので、だれが悪いと言うことではないのですが。。。。


今年度、社会人となっていろいろな世代、専門の人にあったり、
学校以外の多層的な社会に所属することで、どれほど心が楽になったことか。
まあ、あれはあれで、修業として有意義であったと考えますが、
非常にしんどい経験でもありました。


とりあえず、自殺という方法は悪ではないし、
取りうる一つのオプションであること考えますが、
やっぱり生き物として負けのような気がします。


死者はこの世では発言の機会が与えられないので、
どうしても、今、生きている私の意見としてしか語ることができないわけですが、
子どもが自殺という方法を選ばねばならないような社会を作ってしまった大人の一員(新人)として、
なにやら、申し訳ない。