日本の子ども60年


最近、浪費が激しい明日野です。
うーん、あとひとやま今週に残っているのですが、
もう、終わった気になっている。


知っているんだ、この詰めの甘さがいつも惨事を招くことを。。。
無駄にオポチュニストなんだな。根拠なし。
トラブルは現場処理。取り越し苦労が出来ない体質です。


さて、今日は一つ写真集

日本の子ども60年, Ed by 社団法人日本写真家協会, 新潮社, 2005


日本の子どもの、この60年をいろんな写真家の写真でつづっている。
これが面白い。たった60年でこれほどまでに、移り変わっていくのか、と。
子どもは彼らが過去を持たない存在であることで、
誰よりもその時代の空気を吸い込んでいる。
彼らには今を吸い込む以外に吸い込むものがないんだからしょうがない。


ああ、親父の子どもの頃はこんな感じだったんだなとか、
おっこれは、ぼくんちの近くで、しかも年代も同じくらい、知ってる奴かもとか。
僕の生まれる10年前は日本もそんなに豊かじゃなかったんだなとか。


そりゃー知っているんだけど、肌の感覚としては実感していない、
そんな、時代感がまざまざと浮き上がる。


こんだけ急速に代わればひずみの一つや二つでるわな。
うーん、毎年、毎月、毎日、進歩することが当たり前のようなせわしない世界。
寝て起きたら、何か進んでた。
そして僕が物心ついた頃には近代化がほぼ終わっていた。
村上龍もなんかそんなこといってたよねー。詳細は忘れたけど。


そんな、人類史上まれな時代に僕たちは生きている。
中国やインドのように、日本をしのぐような高度成長を生きる人たちは、
大丈夫かなぁ?
あんま、無理せんほうがいいような気がするけど。。。


自動車とか、コンピュータとか楽するためにいろんなもの作って、
作ったら、作ったで、なんやかんやで、仕事は増えて。
便利になったのかもしれないけれど、何一つ楽にも良くもなっちゃいない。
ただ変わっただけだ。そんな気がする。


たしかに、ワープロのない世界は考えたくないし、
手でごしごし洗濯するのも勘弁してもらいたいわけだが。。。


やっぱ、農業とかちゃんとやらないと、国が滅びるような気がするなー。
まあ、滅びちゃ悪いってことでもないんだけど。


ビスターレ、ビスターレ、ザヌース。